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何というエネルギーだっただろう!
前回さていつとったか?と思い出す事も難しくなってしまった、私にとって久しぶりの休養。めっきり暑くなってきた最近、近所のスーパーで買ってきたキュッと冷えた安物のプロヴァンスのロゼを飲みながら、大好きなブラームスのドイツレクイエムを聞きながら、これを書いているささやかな幸せ。
パリ国立高等音楽院第3課程(CNSM)を終わり、私にとって初めての大きなプロダクションであった、シャルトルでのフェスティヴァルの本番日の午前中に、パリ音楽院の古楽科を受験した。その後今日まで、バロックのレパートリー&テクニックとリリックのレパートリー&テクニックに翻弄される日々が続いている。そんな中、ヨーロッパで受けた最初の中規模コンクール、“ナディア&リリーブーランジェー国際コンクール”での劇的な優勝。審査員のメンバーでもあった指揮者のMichel CORBOZ さんとの出会い。彼の主催するローザンヌの合唱団のソリストとしてフランス最大の音楽祭でもあるNantes市での≪la folle journée≫への出演。生まれて初めてのテレビ生中継! 映画の“エイリアン”のように歌い手の前で上下左右に動く カメラ、カメラ。。。度胸もついてくるわけです。ミーハー的心残りは私達のプログラムの前半にショパンのピアノコンチェルトを演奏した、今をトキメくピアニスト“ニコライ・ルガンスキー”さんのサインをもらいにいけなかった事!かな。日本人ではヴァイオリニスト“サヤカ・ショウジ”さんやら、“ユタカ・サド”さんなどなど“音友”でこちらからは一方的によく存じ上げている方々満載でした。何せこちらは名もない駆け出しの一歌手、声をかけるなどとんでもなかったのでありました。演奏会会場で“あ、珍しく日本の方っぽいなぁ”と思い、ビジネスマン風?の日本人男性2人組に、“日本から来られたんですか??”と感じよく尋ねたところ、“梶本音楽事務所のものです!”、ナルホド、庄司さんのリサイタル会場でした。翌日の私の歌う演奏会の宣伝もしておきましたが、聴きに来られたかは疑問・・・?
それから3ヶ月後、私のフランス学年度2003-2004年最大の、さらにこれまでの人生最大級のビッグイベントがやってきた。これのおかげで、それまでの多少の休養も実質的な休養になり得なかった、“エリザベート王妃国際音楽コンクール2004声楽”。
日本にいる私、フランスに来たての私であったら、誰がこんな世界的大コンクールを受けてみようなどと大それた事を考えただろうか。目の飛び出るような、要求されたプログラム!! 今でも思い出す、想像をはるかに上回る山のような問題・課題を目の当たりにして、全くどこから手をつけていいのかわからず、ただただ途方にくれ、その最初の1歩を踏み出すまでにどんなにエネルギーと勇気がいったことか。
このコンクールを受けたらどうか、と言い出したのは私のCNSMからの先生であるゲルダ。“滅相もないです!”と答えたのは言うまでもないが、“年齢制限は30歳までだし、ブリュッセルならパリからも近いし、さらにこれはオペラ歌手だけのコンクールではなくって、バロックも、歌曲も、オペラも、現代曲も、みんな出来ないといけないのヨ! 雰囲気もいいし、大きなコンクールを受け始めるのなら、これがベスト。いまのユミコにピッタリ!”などと仰るのでその気になって申しこんだわけ。それはそれは楽しくもあり、辛くもあり、非常に特殊で濃密な半年でした。
まず、私はもうコンセルバトワールの学生ではなかったので、先生の住んでおられるブリュッセッルまで大体ひとつきに1回程度レッスンのため週末通う。勿論ピアニストさんも同伴なので交通費もバカにならず、私の財政を圧迫するが、自宅レッスンなので先生はとてもリラックスされていて、時間も気にすることなく3〜4時間!!ぶっとおし、なんて事が常。濃いレッスン“うってもなかなか響かない生徒”に一番疲れたのは先生自身ではないだろうか?(ちなみにレッスン後に頂く先生の手料理はびっくりするほど美味しい!)
最終プログラムを決めるための1月最初の週末。まだまだ自分のものとして歌えない私に、“次回来るときにこんな調子じゃ、このコンクール受ける必要はない。申込み金だけはしょうがないけど棄権しなさい!”
ガ~ン。ガ〜ン。ガ〜ン。どないしよ〜う。。。と、全くブルーになってパリに戻ったのはいうまでもなく、足がすくんで無気力状態。
さてその“次回”たる2ヶ月後の3月初旬の週末。不安にかられながらもピアノの前にバ〜ン!、とプログラムを貼りつけて頑張った2ヶ月間。ようやく最初の形が見え初めてきた。先生のOKももらい、残すところ予選までひと月余り、といよいよ迫ってきた。その間、東京でのコンサートも含めて4つ演奏会があり、アレヨアレヨという間に、4月中旬ホストファミリー宅に出発した。
このコンクールはベルギー国民的大イベントであり、ファビオラ王妃が度々聞きに来られたり、各新聞での評・ラジオ・テレビで中継など暖かくサポートする雰囲気にあふれている。また、外国からやってくる受験者は、ベルギー各地のホストファミリー宅(ピアノ有!)に好意で受け入れてもらえるなど、随所がしっかり組織されている。なにせ最初から最後までいると、ほぼ丸々ひと月かかってしまうというのだから、強靭な体力・精神力もこのコンクールの重要な必要素だ。
私がお世話になったお宅があるのはコンクール会場である首都・ブリュッセルから国鉄で約1時間のところにあるLeuzeという街からさらに車で10分ほどいったところにある小さな村。現役を引退された獣医さんのお宅と聞いていたので、“きっとカワイイ犬・猫がイッパイいる?!”と、動物好きの私はかなり期待しつつ車を降りた。そこは田舎であった。パリとは大違いの美味しい空気、何処までも続く畑。牛や羊がのんびり放牧されており、ここの獣医さんは犬猫のような“小動物?”系専門というよりは、どちらかというと“家畜”系のようだった…ま、いいんですけど。というわけで、カワイイ犬には恵まれなかったが、花々の咲き乱れるお庭と家庭菜園がミックスされような広い敷地はとっても綺麗で楽しくて、日課のジョギング(畑の脇の農道のようなところを走ると、横の畑でのウサギがはねていたりするからビックリする)と練習をこなすと、畑で今がシーズンのホワイトアスパラを収穫したり、産み立てのニワトリの卵を集めにいったり、三度豆の種をまいたり、花壇の花の植え替えをしたり、庭仕事大好き人間は音楽だけでなく、大いに与えられた環境を満喫した。
予選に臨んだのは総勢106人、日本人は私を含め7人程度だったように思う。ほんとに世界中の国々から若い歌い手がどっとやってくる。住んでいたところが遠いのもあって他の人の演奏をゆっくり聞くことは難しかったのだが、10人ほど聞いたところでは、みんなそれぞれウマイ! 予選だけでゆうに1週間かかり、最終日の夜中に結果発表。私はドゥミ・フィナル(セミ・ファイナル)に残った。ドゥミ・フィナルはコンクールの課題曲、現代ベルギー作曲家による今回のために書かれた曲を含む、リート、メロディー、オペラ、自国の作品等を含む約40分のプログラム。歌う前日にその中から大体30分強のプログラムが審査員によって選ばれる。またその審査員というのも、ベルギーを代表する世界的大歌手Jose Van Damをはじめ、Joan Sutherland, Tom Krause, Helmut Deutch, Peter Kooij,若手ではAndreas Scholl(敬略)等など合計17人。どうやって意見をまとめるんだろうか?と素朴な疑問。
残念ながらフイナル(ファイナル)出場はならなかったが、新聞各誌上のとてもポジティブな評と、Jose Van Dam氏からの励ましの電話、課題曲の作曲家・Beno杯 Mernier氏の推薦による、最優秀現代作品歌唱として、コンクールが制作しているCDにのる事になったことは、とても大きな喜び。
結局1位になったのは22歳!のポーランドのソプラノ。テレビの生中継で聞いたところ、とっても素直な美声で、若いだけに曲によっていろいろムラもあったけど、何か心に訴えかけるちからのある人だった。聞きながら、“ああ、いいなぁ”と感じた人。2位のカナダのソプラノはなんでもキレイにきちんと歌っていたけど、私にはあまり心に響かなかった、これはあくまで私の個人的な感想ですが…。何より、賞は逃したのだけれど、アメリカ人のソプラノの歌ったマーラーにはもう感動で倒れそうになった。 ほんとうに素晴らしかった。
精も根も使い果たした、自分の音楽と人生の糧になった貴重な経験だった。
こうしてパリに戻り、ここ1週間ほど普段の生活のリズムが戻ってきた。
燦燦と惜しみなく照りつける日差しは早くも夏を感じさせ、木陰が心地よい。あとひとつきもするとみんなバカンスに消えて行く。私は今週末の本番が終われば、フランスのおばぁちゃんのところにでも遊びに行こうかと、今からバスク地方の陽気を思い浮かべているところ。よし、あした電話してみよう!
2004年5月31日 パリにて
