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■畑先生は、外国を含め、様々の舞台で歌われていますね。ステージで歌うことは緊張しないで出来ることなのでしょうか?
最近ステージに出ることが楽しいのです。最近は本当に毎日が忙しくて、考えなければいけないことも様々あります。でも、ステージに出ている時は、いい演奏をすることだけを考えればいい時間です。だから本当に楽しい時間です。でも、それだけが理由なのではありません。歌うのは本当に楽しい、と、去年くらいからそう思えるように変わってきました。
■そのきっかけには興味がわきますね。それは、一体どのようなものだったのでしょうか?
歌を歌っていくにつれ、歌を歌って何になるのか、という一つの悩みを持つようになりました。歌は、楽器やバレエで伝える音楽とはまた違う。言葉があります。ですから、オペラなど、ドイツ語、イタリア語で歌われても、その言語を知らない人にとっては、意味が理解できない。また、いくら歌い手が正しい発音を気にかけて歌うとしても、正しいか自体が解からないのです。そういう人に何をメッセージで伝えられるのだろうか。
私は、音楽の力を探りたくて、歌の力を探りたくて、93年から99年まで、7年かけてシューベルトを全曲歌ってみるということをやりました。彼の作った歌曲は約600曲で、ピアノ曲、未完の曲も合わせると、1000曲くらいにはなります。シューベルトという作曲家の素晴らしさも、やってみないと分からない、と思いました。私は、体験して発見したことを言葉にしたい性質(たち)なんです。それが20代後半の時期でした。
そして全曲を歌うのに、26回の発表の場を経て、7年かかりました。それをやり終えた時には、「何を得たのですか」という質問をインタビューで受けました。でもその質問に対して、私にハッキリとした答えがあったわけではありませんでした。今も、それは自分のなかのテーマ、問いかけでもあるのです。
ただ、音とことばに対して、いとおしさが生まれたことが自分でも分かりました。それからまた、作曲家への思いやりが生まれました。それは舞台で歌う時、聴衆への思いやりにもつながるものです。シューベルトの全曲を歌うなかで、それは身をもって感じることが出来ました。7年間かけてやっとそれを得たわけです。
■畑先生の場合、どのようにして音楽に触れていかれたのですか?ご両親が音楽関係の方だったりされたのでしょうか?
大きな声の家系ですが。けれど小学4年生くらいから演歌が好きで、6年生の時にはチビッコ喉自慢に出場していました。中学の時にブラスバンドでクラリネットを吹いたのが音楽の道に進もうと思ったきっかけです。高校2年生の時、音楽の先生に、歌をやってみたら、と言われました。それで篠山から神戸まで、2時間かけて歌のレッスンに通いました。その時、教えて下さったのが田原祥一郎先生です。16歳のときから、今に至るまで、30年以上お世話になっています。そして、二十歳からは日本テレマン協会に所属しました。テレマンは、バッハと同時代の作曲家ですが、バロック音楽を専門にやる団体で、リズムを生かすことの大事さ、音程の確かさは、ここで身につけたとも言えます。
■畑先生はまた、シューベルトを全曲歌う間に、95年から「丹波の森音楽祭シューベルティアーデたんば」のプロデュースに携わっておられますね
毎年9月から11月にかけての時期には、街角、山の中、田んぼ、お寺や診療所のロビーなど、どんなところでも出掛けて行って歌うことをやっています。それをやるにあたって、音楽の出前ということを心掛けています。これは以前、日本テレマン協会がやっていたことでもあります。
また、91年からは毎年、オランダにバッハのマタイ受難曲を歌いに行っています。一昨年の12月には、バッハの生まれ故郷でもあるライプツィヒのニコライ教会でクリスマスオラトリオを歌ってきました。
■それは実力を買われてのことでしょう。自分の技術も高められたのではないですか?
確かにシューベルトやバッハを高いレベルで歌うことは心掛けています。が、自分の腕を磨くだけでなく、音楽家であるなら、他にも出来ることがあると私は考えます。
99年、00年には、日本コロンビア社からCDを5枚出しました。2枚はクラッシックですが、あとの3枚は、懐かしい日本のうた、昭和の歌、そしてポップスです。
去年は1年間かけて8つの離島の小中学校を訪ねてまわりましたが、夜になると、島の人たちを集めて、ミニコンサートをやりました。島の人は、シートベルトは知っていても、シューベルトは知らなかったりします。でも、その時に、まず演歌を歌ったあとにシューベルトを歌うと、島の人の心にグッと近づくことが出来たのです。音楽の力は凄いものだと思いました。
島の子供達には、音楽の授業を教えました。日本全国に数多くの島があるんですが、そのうちの、全校生徒数が10人以下の学校を選んで行きました。歌うことの素朴な喜びを自分の身体のなかにもう一度取り戻したい、そんな思いもあって試みたことでした。
そこの子供達は、たくさんで声を合わせて歌う経験がありません。歌っても斉唱です。そういう子達に、島崎藤村の「やしの実」と、子供なら誰でも知っている「トトロの散歩」を授業で教えました。「やしの実」は、島国の子供たちにとって馴染みやすい曲だろうし、日本のいい曲を子供達に歌い継いでいってほしい、という思いから選びました。
教えてみて、そうやって教えた子たちを関西に集めてコンサートをしたい、と思いました。それから、資金集めのコンサートが始まりました。趣旨を知って、奈良県高取村などは、町ぐるみで協力してくれました。一方、島の子供たちには、録音テープを送って秋まで練習を重ねてもらいました。
やっと資金も集まり、コンサートは11月24日に決まりました。前後の連休を使って子供達と引率の先生方やご両親に移動してきてもらいました。交通費、宿泊費には、集めた資金を使いました。でも生徒達が歌うのは、教えた2曲とあとは彼らの校歌だけでしたから、実は私も実行委員の皆も不安でした。その2曲と校歌だけで本当にコンサートが出来るのだろうか、と子供たちも思っていたと思います。
けれど、実際にコンサートで子供たちが歌ったとき、会場に訪れた方は父兄も含めて200人ほどいらっしゃいましたが、その歌う校歌を聴きながら、会場の人が涙を流していました。これは2月17日の深夜、24:20からMBS毎日放送で放映されました。自分の歌う歌について、子供達の歌について、歌について考えさせられた出来事でもありました。
「丹波の森音楽祭シューベルティアーデたんば」や、島めぐりをして、特に島では、目の前で色々のお客にトークもしながら歌を歌った経験を通して、私は、歌うことが楽しく思うように変わっていきました。
がむしゃらにやってちょっとのことを得る性分なのです。でも得たものがちょっとのことだとしても、その時それをやっていなかったら今頃自分はどうしていたろうかと思うと恐ろしい気がします。シューベルトを全曲歌い始める時にも、自分には、音楽的には肩書きにしろ技術にしろ、人に対して言えるものがありましたが、でもやった後では、人との出会いを通して、自分の世界が一気に広がっていました。特に、全曲歌うにあたって、最初から徹底したことのひとつは、招待状を音楽関係の方には送らなかったことです。
■ご自身ではどのように充電なさるのですか?
アフターナインが私の充電時間です。アルコールのなかではビールが好きですね。人が集まる店が好きなんです。店の人も好きです。だからカウンターのある店でないと入りません。変に凝った店は、逆に苦手です。入り口の雰囲気を見ればなんとなく分かります。味は勿論ですが、店の雰囲気や、店の人の人間性を見て、人はその店にまた行きたいかを決めるでしょう。それは音楽も一緒です。喜怒哀楽、感情を込め過ぎて歌っても、なにか押し付けがましい。でも歌い手として、メッセージはある。それをどう伝えたら一番それが聞き手のなかに染み入っていくのか。
例えば、料亭でコース料理を出すなら、出し方に工夫をする筈です。こってりした料理のあとには必ずさっぱりした味をもってくるでしょう。でも音楽の世界ではこってりした曲が続くことも多いんです。普段の生活のなかで参考にする事は余りに多いです。
■最後に、ミニコンサート及び椿姫を演じるにあたって、聴いて下さる方にひと言。
畑儀文と言えば、シューベルトのイメージが強い事もあり、私の「椿姫」は、来て下さる方でも意外に感じる方も多いかと思います。私にとって久々のオペラでもあります。また、弾き語りも初めての方もおられると思うので、是非その意外性を楽しんで頂きたい。
畑儀文 Hata Yoshifumi Tenor
兵庫県篠山市生まれ。
1979年小林道夫氏の伴奏でリサイタル開催。91年オランダにてマックス・ファン・エグモント氏のもとで研鑚し、毎年受難週にはエヴァンゲリストとして招かれる他、ヨーロッパ各地のリサイタルでも大きな反響を呼ぶ。またペーター・ダム氏、イェルク・デームス氏等、著名演奏家との度重なる共演の他、93〜99年にはシューベルト歌曲全曲演奏を成し遂げ、さらに新たなシリーズ「シューベルティアーデ」を展開中。
近年、日本コロムビアよりCDデビューを果たし、その天性の歌声はジャンルを問わず、心に響く感動を呼び注目を集めている。
大阪文化祭本賞・及び奨励賞、咲くやこの花賞、神戸灘ライオンズクラブ音楽賞、大阪府民劇場奨励賞、坂井時忠音楽賞、ブルーメール音楽賞、兵庫県芸術奨励賞を受賞。
日本テレマン協会ソリスト、テレマン室内合唱団指揮者。シューベルティアーデ・ジャパン代表、丹波の森国際音楽祭シューベルティアーデたんば総合プロデューサー。