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大森地塩
写真

歌ってみたいオペラの役

1987年8月に3年間のオペラ歌手の生活を終えドレスデンから帰国しました。

その後カメラマンになりたいと夢を実現すべく、ドレスデンで撮った写真を手に、写真家の門を叩きましたが、「30歳を過ぎたカバン持ちはいらない」と断られてしまいました。

その年から、堺シティオペラを手伝うということで、安則先生のマンションに泊めていただき、飛び込みで市内の会社に堺シティオペラの資金援助をお願いに回りました。慣れないネクタイ、スーツ姿で一生懸命自転車のペダルを漕ぎました。汗を拭き拭き入ってくる蒸さ苦しい男が、オペラへの援助を申し出ても場違いの感じで、一度もよい返事を聞く事が、出来ませんでした。それでも、数年間、月数万円を私への援助として、堺シティオペラからいただきました。当時そのお金が、収入の大部分を占めていました。

安則先生には多く助けていただき、お宅で個人レッスンをさせていただきました。今の私の生活(声楽教師)の始まりです。今井しづかさんと森崎良尚さんが最初です。

その後晴さん、中学二年生だった谷村さん、そして、堺シティオペラのアンサンブル特別クラスのメンバーだった田中さん、高内さんというように声をみる人が少しづつ増えて来ました。月2回、森崎さん宅を使わせていただくようになって、井原君、広瀬さん達が加わりました。現在は、今井さんのお宅とどちらかで、同じように月2回のレッスン続けています。

堺シティオペラには、1987年から1999年までアーティスティックディレクターとして、オペラ制作に携わりました。ドイツのケムニッツ劇場との提携、そして歌手、声楽教師の招聘などの仕事をしました。

得意な歌

●混声合唱団指揮者として
[宝塚混声合唱団]
1989年9月〜:約80人の団員、年1回の音楽会を開催しています。

●女声コーラス指揮者として:どれも現在に至るまで続いています。
[桃山ムーンコール]
1993年〜:大勢いたメンバーも、指揮者の交代で減りましたが、常に前向きに歌っています。

[アンサンブルHANNA]
1999年4月〜:武庫川女子大オープンカレッジのメンバー?が学校の休みの時も歌いたいと始め月2回の練習をしています。

[ソングタイム]
1988年〜:約10名のメンバーからなる、京都の妻の実家の近所の婦人の集まりで、月2回の練習です。

●教師として
武庫川女子大音楽学部:1991年〜:声楽、オラトリオ演習、合唱
神戸女学院音楽学部 :1992年4月〜1996年3月:合唱

VOCに期待すること

●木川田 誠 先生
大学4年生の時、先生に歌を教えていただきたいと手紙を書きました。自分からは音楽に進みたいと言えなかったのですが、先生の『音大に行くか』との問いに『はい』と即答しました。今の生活を想像することなしに。
コーリュウブンゲン、コンコーネ、古典イタリア歌曲を中心に歌の基礎を学びました。

●蔵田 裕行 先生
大学4年間学びました。多感な時代で、歌いたいと思う曲をレッスンに持っていくのですが、私には難しいといつも言われました。試験でいつもレッスンで教えていないことをすると怒られた、出来の悪い生徒でした。

●佐々木 成子 先生
大学4年生の時に『あなた、発声の勉強をしてみては?』と、木下先生を紹介して下さいました。そのレッスンを受けるための経済的な援助もしていただきました。オペラ歌手の道を歩みはじめたドレスデン行きを非常に喜んで下さいました。オペラ歌手をやめ帰国し、他の仕事を捜した時、私達の生活を心配して下さいました。
80歳を越えて尚、先生の歌に取り組む真摯な態度、努力、そして、音楽に対して謙虚でありながらも、大胆な先生の姿勢に、私は非常に大きな影響を受けました。

●木下 武久 先生
発声を先生から学びました。先生のメトードを実際に経験する事で、その大切さを学びました。当時、先生の理論に基づいた発声を、うまく歌にいかす事が出来ませんでした。今、この仕事をする時、先生の理論のすばらしさを体験し、うまく歌にいかせなかった理由を発見することがあります。

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